「子どもの頃、まわりに外国の方もいなかったし、あんまり授業でおもしろさを感じたことなかったから、いまだに英語は苦手意識があって避けちゃうんだよね。本当は必要だっていうことは常々痛感してるんだけどさ。」
こんな大人の皆さん、実は先生方の中にも結構いらっしゃるんじゃないですか?
私たちが初めて何かのスキルを習得しようという時、目的や必要性が腑に落ちていないと、なかなか楽しさが見出せず、学ぶモチベーションの維持が難しい、なんていうことはよくあること。
つくづく、学びとの「出合い方」はその後の人生に大きく影響するものだなあと考えさせられます。
それは、2020年に小学校では必修となり、2025年には大学入試共通テストで「情報」の受験が必須となったプログラミング教育でも同様のことが言えるでしょう。
一方で、この大学入試共通テスト「情報」が必須となる現在の中学3年生から下の子どもたちをみると、全国的にもまだまだプログラミングが「当たり前」になっていない現状があります。
それは言い換えると、いまはまだプログラミングとの「出合い」の真っ只中にいる子どもたちが多いということ。
彼らが、これからの時代を生きる上で不可欠とされ、重要度が増しているプログラミングとどのように出合っていくのかによって、その後の日々の生活が大きく変わるであろうことは、想像に難くありません。
私は、子どもたちとプログラミングとの「出合い」をより有意義なものにしていくのは、自らの視点を大事にし、表現のための主体性を最大限尊重するような取組みだろうと考えています。
それには、子どもたちに寄り添い、子どもたちから多くを引き出していく、よい図工の授業実践を行う先生(ファシリテーター)のような存在が、とても重要となってきます。
そのようなファシリテーターによって実践されるプログラミングを、私は「図工プログラミング」と呼びたいと思います。
今回は「図工プログラミング」で大切にしたい4つの視点についてご紹介します。
<つなぐ> 学びを自分ごと化する
学習意欲の低下の要因の一つに、学びがその場限りで分断されてしまっている、ということが言われます。
得られた知識が日々の生活や身の回りの事象と接続しないため、自分ごと化せず、学ぶ目的を見失っている状態のことです。
実はこのことは、プログラミング教育の現場でも珍しいものではありません。
「〇〇を解決するロボットをつくろう」や「△△を使ってつくってみよう」という、子どもたちからすると、表現に重たい条件が課されがちな分野ですから、「〇〇を解決する」という与えられた課題以外に学びを援用する方向に意識が向かなかったり、そもそも「△△」に興味が持てなかったり、という可能性が多くあります。
そんな時に、「あなたの家の中だとどこで使えるだろう」とか「□□さんはこうやって言ってたけど、あなたはどう思う?」という、ファシリテーションの<つなぐ>手法がとても有効になってきます。
学習者の多様な反応を感じ取りながら、子どもたちの身の回りと学びを接続していくことは、プログラミングをより身近で自然な存在にしてくれることでしょう。
<ひらく> 視野を広げる
子どもがプログラミングブロック教材で車を作っていた時、どうしてもうまく走らないことがありました。
彼は、「なんでだろう」と動かしてはタブレットを見る、ということを繰り返していました。
結論から言うと実は彼の車は、落ちていたブロックにタイヤが引っかかってしまっていただけなのですが、かなり低い位置から見ないと見つけられない場所だったためか、彼はしばらくそのことに気づかず、プログラムを変えては試し、を繰り返しました。
「ねえねえ、プログラミング以外に、考えられる原因はないかな?」「もっといろんな角度から車をみてみようよ」
という視点の変換を促す<ひらく>ファシリテーションがないと、彼は大きなストレスを抱えてしまったかもしれません。
別のケースでは、プログラミングブロック教材で「自分の考えるぐるぐるの動き」をつくっている時、ひたすらにタブレットでプログラムとにらめっこし続ける、と言うことも多くありました。
「おなじプログラムでも、形がちがうと印象が違うかもしれないよ」
というファシリテーターの言葉かけによって、彼女は造形と動きの相乗効果による表現の可能性に気づいていきました。
どうも、プログラミングというものは、(現時点では)子どもたちの意識を引きつけすぎてしまうほどの強力な引力を備えているようです。
だからこそ、プログラミングが目的化してしまわないためにも<ひらく>ことが大切だと考えます。
<もどる・まとめる> 気持ちやテンポをマネジメントする
プログラミングの授業をしていると、子どもが、うまくいかずにイライラを隠せなくなっている状態になっている場面に多く出くわします。
集中すればするほどその傾向は顕著なようで、考えるテンポが異常に早くなってしまい、軽いオーバーヒート状態に陥っているように見受けられます。
このことは、通常の図工美術の授業ではあまり体験しない現象です。
むしろ、電気屋さんから最新家電を買ってきたけど、機能が多様すぎて思うように動いてくれないときの、あのなんとも言えないムキーーっ!とした精神作用に近い気がします。
このときにファシリテーションの「ちょっとさっき考えたこと思い出してみようよ」といった、子どもの思考を<もど>したり<まとめ>たりする手法が大変有効です。
オーバーヒート状態になってしまうと現状しか見えなくなり(現状も見えなくなることもありますが)、混乱が混乱を招く負のスパイラルに突入します。
一つ前の状態に思考を立ち返らせ、経緯を俯瞰してみることは、一呼吸おいて気持ちを穏やかに戻す効果もあります。
<みとめる> 表現や経緯そのものを評価する
プログラミングの題材におけるコンテストには「光った」「光らなかった」や「ゴールできた」「ゴールできなかった」といった成功と失敗が明確に現れるテーマが多いように思います。
しかし、皆の前で結果がはっきりと現れてしまうことは、初学者にとっては自尊心に影響を及ぼす可能性も小さくありません。
「確かに結果は失敗だったけど、この部分はとてもかっこよくできているよね」
「誰も気づかなかったアレに気づけたから、こんな工夫になってるんだね」
といった表現や経緯そのものを評価する<みとめる>行為は、学びとの良質な出合いのためには必要不可欠な要素です。
このように、プログラミングという手法がもつ性格を考えた時に、図工的なファシリテーションの手法を援用していくと、子どもたちがより主体的かつ魅力的にプログラミングを学んでいく環境を整えていけることでしょう。
今後より重要度が増すであろうプログラミングとの出合い方、ぜひ引き続き図工美術の先生方と一緒に考えて行きたいポイントです。
<おまけ> 「すごいねえ」の功罪
ちなみにこの領域では、大人たちによる根拠のない「うわーすごいねえ」という声かけが激増している気がします。
もちろん感動を共有したり、本当に初めての体験への声かけには有効だと思いますが、むやみやたらな「うわーすごいねえ」は、子どもたちの「なーんだ、こんなもんでいいのか」を誘発し、興味関心を削いでしまう危険性を感じます。
どの場面でも「うわーすごいねえ」はうまく使っていきたいものですね。
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