私はこれまで、プログラミング講座を設計したいという自治体の皆様や学校の先生方、学習塾の皆様らに、参考として下記の学習モデルを提案していました。
今月は、そのご紹介からお話をスタートしたいと思います。
情動と感動
ここで大事にしていたのが、学習者自身が体験する「情動」と「感動」です。
「情動」とは、心理学の分野で主に使われる言葉ですが、「何かに大きく心が揺り動かされるような、瞬間的に強く感情が変化した状態」を指すようです。
それに対し「感動」は、ここでは「じっくりと深く知ることで共感にも似た精神作用を得ている状態」という意味で使っています。
実際の体験の感覚としては似ている2つですが、区別して取り扱うことで、その意義をより明確化することを意図しています。
この最初の体験での情動の大きさが、後にもたらす感動の幅や深まり、更には自らができないことを知り「もっと学びたい」と思う気持ちに大きく影響があるのではないか、と考えたわけです。
まだよくわからない状態の時が大事
情動を大きくするために、どうも必要そうだ、と行き着いた条件が「まだよくわからない状態でとりあえずやってみる」という態度と、「やってみたら目の前の空間が劇的に変わる」というリアル環境の変化でした。
特に「まだよくわからないという状態でやってみる」ことについて、私個人の感覚で言えば、この時は、まだ自分自身の空間にいて、遊んでいる時ととても近い、素直な感覚のままであることが多いです。
こうした状態を私は、「○○を学んでいる」と自覚しながら体験しているときとは一線を画すものと位置付けています。
予定調和ではない、あるいは「まっさらな自分状態」で、自分自身の頭をフル活用するような試行錯誤によってもたらされる驚きや喜び、悲しみは、より劇的で、深く心に刺さっていくように思うのです。
(ちなみに、当然ながら、なにかをわかってしまうと、わからなかった時に戻ることはなかなか難しいですから、私は「まだよくわからない状態」をとても丁寧に取り扱うようにしています。)
リアルに物体が動いて、世界につながる
特にプログラミングの場においてはこのことは顕著です。
「こうするとLEDが光ります」と説明されてその通りにやってみることと、「まっさらに自分状態」で試した結果LEDが光るのとでは、子どもの情動の大きさに大きな違いがあるように感じます。
前者はいわば指示通りできたことに対する心の動きであり、後者はまさに「自分で発見した」ことに対する心の動きだからです。
「自分で発見した」という経験は、「自分でももっと何かできるかもしれない」という思いや意欲を生み、それは大げさに言えば自分が存在する空間のあり方(見え方)が大きく変わることだと思います。
ここで得られる視野の広がりは、当然自分がやっていることを多角的に捉えられるわけですから、より具体的でさらなる深い試行錯誤のループへと子どもたちを誘うことでしょう。
これら2つの条件がうまくかみ合った時、子どもたちから強い「もっと学びたい」というオーラが発せられることが多いと感じています。
自分自身の変化に成功体験を設定する
さて、冒頭に提示した学習モデルでは、最初にコンテストを実施することで醸成した「もっと学びたい」という気持ちを利用してレッスンを行い、その後もう一度同じコンテストを実施するようになっています。
子どもたちにとっては、まっさらな自分状態で自然と学んだあと、最初と同じコンテストにもう一度トライすることによって、自分自身ができることや発想の変化を実感できるでしょう。
「他の人よりもポイントが高い」や「完成度が高い」という比較や成果物ではなく、「以前の自分よりも成長できている」ということに成功体験を集中させることで、さらに学びたいという態度も育んでしまおう、というものです。
とりあえずやってしまうのがいいのか、ひとつひとつ順を追って学んでいくのがいいのか。
こんな話はいつも様々なところでなされる議論です。
しかし私はこれまでの経験から、少なくともプログラミングにおいては「とりあえずやってみる」ことが大きな情動を生み、その情動が学ぶ意欲につながり、やがて深い感動と「もっと学びたい」を生み出すのではないかと思っています。
板橋区立教育科学館の取り組みはこちらからご覧ください。
コメントをお書きください