Phase23より続く、2月に開催したトークイベント報告、後半戦です。
昨年「コミュニティ・オブ・クリエイティビティ(日本文教出版)」を上梓された、奥村先生・有元先生・阿部先生をゲストに「おとなのサイエンストーク 科学の現在地vol.1 ひらめきを育む」を板橋区立教育科学館で開催いたしました。
今、なぜひらめきなのか
トークイベント報告の後半は、直前の打ち合わせで「フリップ芸方式」と命名されたパネルディスカッションから。
最初のお題は「今、なぜ“ひらめき”なのか」です。
奥村先生と阿部先生はそれぞれ「今だから」「Googleをぶっこわす」というご回答。
時代を象徴するChatGPTの問題やGoogleの存在を例に、「知識を習得する教育」から「知識を知恵へと昇華する教育」への転換の必要性を語られました。
知識を知恵に変換するときに必ずひらめきが必要。納得です。
続いて有元先生は「さすがわたしたち」というご回答。
個人としてのひらめきに閉じてしまうのではなく、他者とのかかわりの中でひらめきは更に発展し深まっていくし、社会にインストールされていくのだそう。
有元先生がおっしゃる、「『誰かがすごい』でも『自分がすごい』でもなくて、『さすが私たち』と捉えていく」という感覚は、生まれたときから発達した情報技術がある子どもたちにとって、社会で価値を創出していくために、とても理にかなっていると私は感じました。
と同時に、どうしても「誰が成績一番か」「誰の作品がよいのか」という個人種目的な学校教育で育った私自身にとっては、根幹から価値観を見直さなくてはいけないポイントのように思いました。
ひらめきのために、必要なもの/必要じゃないもの
そんな話の流れの中で、「私はお二人とは決定的に違うところがある」と阿部先生は切り出します。
次のテーマ「ひらめきのために、必要なもの/必要じゃないもの」の中でのことでした。
「私は必ずしも、ひらめきは集団でなくてはいけないとは考えていない」
「たとえば、直木賞を受賞するような作家の方など、孤独な活動のなかでもクリエイティブに活動されている方はいる」
「ただし、『まわりに関心がある』ということが必須である」と。
たとえば、前回紹介した教育科学館の事例についての奥村先生からの、「この事例のひらめきポイントは通路である」という指摘についても、「学習者の思考の様々なフェーズにおいて、常にまわりに関心をもちたくなるようなしくみをつくっている」と整理できそうです。
これについて有元先生は「『思い通りじゃない』ということが起きたことすら、『思い通りである』と捉える態度が重要だ」と指摘されました。
「2人とは違う、と阿部先生は言ったが、3人で本をつくっているときもたくさんの違う考えがあり『なるほどな』と思った。そこで重要なのは、違う意見や考え方を排除するのではなく、許容できる態度だ。そしてこれには訓練が必要だ。」
思い通りじゃないことを、「おもしろい」と思えるようになること、このあたりも、図工美術教育の主要なミッションの一つでしょう。
奥村先生も、「友だち」と書いて「つながり」と読み、そのつながる対象が決して人間だけではなく、本・道・空など、森羅万象に対するつながりに目を向けることが必要だと指摘されました。
ひらめきには「他者を受け入れ(、おもしろが)る力」が大きく作用しているようです。
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前半と後半の全2回で報告しようと思っていた本記事ですが、書いていくうちに2回では収まりきらないことを感じ始めましたので、急遽全3回に延長します!笑
次回は、実際に授業を行う先生方に向けたメッセージや、まだご紹介できていない奥村先生・阿部先生によるアクティビティについてをご報告いたします。
こんなに長丁場な報告になるとは私自身も思っておりませんでしたが、どうぞお楽しみに、次回もお付き合いくださいませ。
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