当館で夏の企画展として開催中の「夢と科学の関係」展に協力いただいているプロ冒険家・阿部雅龍氏は、実施した取材の中で次のように語っています。
「『冒険家』は、小さいころに漠然と、なりたいと思ったいくつかのもののうちのひとつだったんです。他には宇宙物理学者になりたいと思った時もあった。最初から『冒険家』になりたいと思い続けていた訳じゃない。自分が思う『普通の存在』になりたいと思って自然と選択して、行動してきただけなんです。だから、自分は特別な存在なんかじゃ絶対になくて、普通の存在なんです。」
「大学受験に失敗しまして。ある国立大学の宇宙物理を受験したんですけど。それで、理系は好きだったんで結局秋田大学の工学部に入学するんですが、そこで宇宙物理学者になる自分に失敗した時に、どうしようかと思って。就職もすこし考えたはずなんですが、結局そこで小さいころに思っていたなりたいもののひとつだった『冒険家』を選択した。自分にとって『冒険家』は、受験の失敗という、社会から突き付けられた岐路に立った際の、逃げの選択なんです。自分の存在を保つための社会からの逃げのような。『夢』とはいっても、自分にとってこの夢は、逃げの選択の結果ともいえるかもしれません。」
「自分には父親がいないので、それもあってある意味で逆に、強烈なファザコンなのだと思います。かっこいいヒーローのような父親像をいつのまにか自分の中で作り上げていて、それが自分の『普通の存在』という価値感に大きな影響を与えている気がします。今でも週刊少年ジャンプが大好きで購読しているのですが、あそこに出てくるヒーローたちって、よどみなく、ストレートにヒーローでしょ?だから読んじゃうんだろうなあ。」
「大きくになったらなにになるの?」「将来の夢は?」
大人が子どもに語りかける頻出ワードランキング5位以内に入っているであろうこれらの問い。
改めて考えるとこの言葉には、「まず、自分でなにかなりたいものを具体的に決めておかなくてはならない、それが普通だ」という、社会からの安易な刷り込みがあるのではないか
と私は感じます。
つまり夢には
①自分で夢を早いうちに決める
②それに向けて努力する
③きっと夢がかなう
というトリセツ(取り扱い説明書)があり、この価値観は広く一般化しているように思います。
しかし、このトリセツにはクリティカルな問題があります。
本来であればよく巻末にある「おかしいなと思ったら?」のページが一切ないことです。
例えば、③について「努力したのに夢がかなわなかったら?」という事に対するトラブルシューティングが一切明示されません。
実はこの不備は、子どもが幸福を追求しながら生きていくうえで、かなり重大な欠陥であろうと私は感じています。
ということで、冒頭の阿部さんの言葉。
ここに私は3つのポイントを見出しました。
①身の回りの環境に呼応して、柔軟に選択している
「冒険家が夢」ときくと、小さいころからずっとあこがれ続けて、ひたすらそれに邁進してきたようなイメージ(つまり「夢のトリセツ」どおり)が私にはありました。
確かに阿部さんは、お母様から紹介された本で同郷の白瀬矗という冒険家を知り、それらがきっかけで小さいころの夢のひとつとして「冒険家」があったようです。
しかし詳細を伺うと、これまでの人生すべてを、わき目もふらずそれに向けて邁進してきた訳ではありませんでした。
阿部さんは、人生のその時々でなりたいものがあり、それになることができない現実を突きつけられる挫折を経験されています。
そして大事なのは、人生の中で挫折したときに、柔軟に次のことにチャレンジしていくことなんだろうと、強く私の印象に残っています。
それは、私自身が経験してきた人生を振り返ってみても、「夢のトリセツ」の内容よりはるかに同意でき、説得力のあるものです。
②自分の中に価値観を持つ
ただ、大学受験に失敗したからと言って「だから南極の人類未踏ルート単独踏破に挑もう!」という選択は、決して一般的とは言えません。
しかし阿部さんはこの選択を「普通の選択だ」と言い切ります。
阿部さんが発する「普通の選択」という言葉は、阿部さん独自の価値観によって構成された「普通」による選択であり、これは、社会が思う「普通」とは一線を画すものです。
たしかに、「冒険家」という職業だけでみてしまうと、社会的に見たら普通というイメージとはかけ離れますが、阿部さん自身が持っている「普通」に照らし合わせて選択された結果が「冒険家」である、ということであれば、全く違和感はありません。
私は、この阿部さんの言う「普通の選択」という言葉は、独自の「美意識」と言い換えることができるのではないかと思います。
本来、「夢のトリセツ」に記載されるべきは、具体的な職業選択についての前に、この「美意識の獲得について」ではないでしょうか。
特に、変化の激しいVUCAの時代と言われる現代社会を生き抜くうえで、選択の軸としての「美意識」を自らの中に持てるようになることは、最も重要な学びのひとつだと思います。
③自分の価値と社会を高いレベルで折り合いをつけ、両立している
阿部さんは自らの夢について、逃げの選択の結果とも言えるとおっしゃいます。
社会に迎合することなく自らの価値観を磨くという意味では、社会と切り離し距離を置く必要があり、その意味では「逃げ」という言葉は合点がいきます。
しかし、決して「社会から逃げている」のではありません。
むしろ、「冒険家」という独自の生き方を、多くの人々と関わり合いながら「社会」の中にインストールしているという意味では、一般的な職業選択をするよりはるかに高いレベルで社会と折り合いをつけ、成立させている、と言えます。
「社会とは切り離した自らの価値観/美意識」があるからこそ、社会と対話ができるという好例とも見えるし、
美意識が確立しているからこそ、実現に向けた絶大なるモチベーションやパッションが体内に発生しているのかもしれません。
たとえばパーソナルトレーナー齋藤さんは、阿部さんの身体能力について「決して高くはない、むしろ不器用なほう」と分析します。
そのため阿部さんは、炎天下の河川敷でストイックなまでに反復練習をして体に動きをしみこませるし、しかもそれが苦しそうに見えず、むしろ楽しそうに見えます。
「夢があるんだったら努力しなきゃダメでしょ!」
といわれるのではなく、阿部さんご自身がやりたくて、トレーニングをしているように見えます。
その阿部さんの姿や雰囲気、表情、努力、阿部さんを構成するあらゆる要素が発する強い引力によって、人々が集まってきて素晴らしいサイクルが生まれているのでしょう。
今回阿部さんというプロ冒険家を取材する中で私は、目まぐるしいスピードでアップデートされる科学技術を背景に、あらゆる価値観が不確実化する現在、人が獲得すべき不変の能力とはいったい何なのかをあらためて問い直されているような感覚になりました。
次回は、暫定的に整理した上記の3つのポイントについて、これらを具体的に教育によってどう獲得していけるのか、考えてみたいと思っています。
先生方はどのようにお考えになりますでしょうか。
↓プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍HP
https://www.jinriki-support.com/abe/
夏の企画展
夢と科学の関係展 プロ冒険家 阿部雅龍と板橋人たち、まだ見ぬ景色を見つめて…
https://www.itbs-sem.jp/exhibition/special/2023summer-special/
会期 2023年(令和5年)7月22日(土)~8月31日(木)9:00~17:00
※休館日:月曜日(ただし7月24日(月)、8月14日(月)は開館)
板橋区立教育科学館 その他の取り組みはこちらからご覧ください。
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谷田 泰 (水曜日, 09 8月 2023 06:10)
夢のトリセツから独自の美意識へ
検索して得るのではなく、独自の価値観を獲得できると良い
逃げというか何度も挑戦し直すことが大切
そんな若い人たちを応援していきたいと思います
図工のみかた編集部 (水曜日, 09 8月 2023 13:53)
谷田 泰さま
コメントありがとうございます。
>何度も挑戦し直すことが大切
本当にそうですね。本人の気持ちだけでなく、繰り返しの挑戦が許される社会の雰囲気を醸成していくことが大切なんだろうと感じました。
>そんな若い人たちを応援していきたいと思います
素晴らしいです!
我々も、教科書という形が中心にはなりますが、独自の美意識をもてる、何度も挑戦し直す子どもたちを育て、社会をつくりたいと考えております。
引き続きよろしくお願いいたします!