序章
ビッグデータ時代において、我々のデジタル世界、サイバー空間は拡張し続け、膨大な情報で溢れかえっています。しかし一方で、現実の世界、リアル空間においては、データ化が完了した領域はまだまだ乏しいと言わざるを得ません。つまり、リアル空間は、爆発的に拡張し続けるサイバー空間と比べたとしても、いまだ圧倒的な広さと深度を持っていると言えます。本稿では、AIが進化する中で浮き彫りになる、サイバー空間とリアル空間との開きに焦点を当て、特に言語化の難しさがどのように人間とAIの関係に影響を与えるかを考えます。
ビッグデータとリアル空間の開き
ビッグデータは数多くの数字や情報で構成され、その洗練されたアルゴリズムによって私たちのデジタルな行動パターンや好みを分析しています。しかし、リアル空間においては、これとは対照的にデジタル化された情報が限られています。デジタルなフィードバックに頼りきりになることで、私たちはリアルな体験の多くを見逃しているかもしれません。例えば街角の喧騒、風の匂い、人々の微細な仕草など、これらはリアルな世界での感覚体験でありながら、デジタルデータには不可視のままです。
リアル空間の解釈に必要な力
データは主に既知の言語や表現に基づいて生成されています。その集合体であるビッグデータ解析が進む一方で、感性や直感といった人間の固有の力が、リアル空間を正確に理解するためには欠かせません。例えば、芸術作品や音楽、風景など、言葉では説明しにくい美しさや感動は、データによる分析だけでは到底理解できない領域です。AIは情報を取得することは得意でも、その情報を真に理解し、共感するには限界があります。言葉が及ばない領域には、人間の感性が問われます。それにはまず、身の回りを注意深く観察する力の醸成が不可欠であり、その訓練として鑑賞教育が大きな意味を持つはずです。
AIの進化と言語化能力の鍵
AIが進化する中で、我々はより良質なAIを求めています。しかし、その進化には人間の言語化能力が不可欠です。良質なAIは、人間の感性や美意識までをも理解し、それを表現できるものでなければなりません。この領域の言語化追い付かなければ、AIは冷たく機械的な存在となり、我々とのコミュニケーションが難しくなるでしょう。
言語化能力の向上とAIの成長
人間による言語化能力の向上は、人間とAIの共生において重要な要素です。人間がリアル空間を細やかに読み解き、それに裏打ちされるように豊かな表現力を持ち、的確に言語化できれば、それがAIの学習データとなり、AIの理解力向上に繋がります。人間が表現できる感情や経験が、AIにとっての新たな学び舎となり、より深い理解が可能となります。
未言語化領域への対応
このAIが未知の領域(言語化しにくい領域)に人間が真正面から向き合うことが今後ますます重要になります。たとえば新規のリアルな経験や感覚は、従来のデータ解析では到底理解できません。人間とAIの共存を築くためには、AIが到達できない領域においても、人間の感性が発揮されるべきです。これがなければ、AIとの軋轢が生じ、技術の進化が人間性を脅かす可能性があります。
結論
AI時代において、私たちは技術の進歩と共に進化していかなければなりません。デジタルとリアル、言語と感性のバランスが重要であり、人間が持つ感性と言語化能力がその鍵を握っていることを理解することが求められます。未知の領域に向き合い、人間とAIが共に発展していく未来を築くためには、今後も探求心と共感力が欠かせません。
実はChatGPT 3.5が代筆してくれてました
…と、実はここまでの文章は、生成AIのひとつであるChatGPT 3.5がまとめてくれたものでした。
まず書きたい概要を箇条書きでAIに伝え、出てきた文章案に対し、更に何度も何度も指示を出し直しました。
なお、文章中の文言を直接私が修正することは一切せずに、敢えて、修正作業も含めて、全てをAIを介することを条件に書いてみました。
そうして出来上がった上記について、私としては、確かに私が本稿で書きたかったおおよその内容はこんなことだったような気がする...けど、でもなんとなく薄味な気がするし、やっぱり何度もAIに伝えても、随所に満足できるほど堀り切れなかったことが多く...という感じの印象。
ということで、この「with AI」の記事はシリーズで書きたいと思っていまして、ここで少し生成AIそのものへの所感を書かせていただきたいと思います。
AIは、考えるきっかけとなる項目を例示してくれました。
しかし、提案されたのは一般的に耳にすることの多いAIとアートの関係性についてであり、私が書きたい内容ではなかったので、最近読んだニック・ボストロム氏の言葉を引用しながら、改めて具体的に箇条書きしてみました。
ここから、「構成案じゃなくて、実際に4000字程度で記事にして」とお願いしたら、上記の文章の原案を書いてくれました。
ちなみに、採用バージョンは、文句も言わず23回にわたってAIくんが書き直してくれた、涙ぐましい努力の結果です。
今、生成AIがもたらしているもの
昨今の生成AIはあくまで、それぞれが得意とする手法、今回のChatGPTであれば文章を生成するためのシステムです。
私が今回、そうしなければならなかったように、文章の基本となるアイディアは、人間が提供しなければなりません。
それだけでなく、表現ツールとしてAIを使いこなすためには全く新しい感覚が必要になりそうだし、製作フローのどのセクションをAIに任せたら一番効率がいいのか、ということについても少し検討が必要そうです。
圧倒的に高機能なこのツールを使いこなすため、現状のAIの特性を理解しながら細部に至るまで人間が指示をする必要があります。
例えば私は、頭の中がいつもあまり整理されていないアイディアで混沌とし、考えるスピードと表現するスピードが合わない感覚があって悩むことが多いです。
しかし今回、ChatGPTのおかげで、そうした考えを筋道だった文章「のたたき台」にまで表現することが著しく簡単になりました。
つまり、今回のようなAIを使った文章を書く作業において人間にとって最も重要なことのひとつは、書くべきアイディアや主題をいかに発見するか、ということに極まった、と言えるのかもしれません。
文部科学省は今年の7月、ChatGPTの学校教育への導入に関する指針を公表しました。そこに示されているのは、ChatGPTの結果をそのまま課題レポートなどに使わないこと、英会話の学習にChatGPTを使うことなどです。
しかし、この問題はもっと深く大きく、教育現場を一変させるインパクトや可能性を孕んでいるように私は思います。
このシリーズ「with AI」の中で次回以降、様々な方にお話を聞きながら、AIと教育について引き続き考えていきたいと思います。
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