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Phase034:「対話」のための美意識のオン/オフ

先日プログラミングワークショップで豆まきマシーンを作っていた時の話。

 

Aくん 「ここのパーツは、もっとブロック増やして長くした方がいいと思うんだよね」

Bくん 「全然違うよ、長くしたって意味がないから、もっと輪ゴムを強くするために2本にしてやった方がいいよ」

くん 「だって、長くした方が引っ張られるでしょ」

くん 「それは意味ない。ゴムを2本にした方がいいと思うんだ」

 

うんぬんカンヌン。。。

これは、参加してくれた兄弟のやりとりです。

 

グループで課題に取り組むよさの一つに、自分一人ではない視点によって物事を見て、対話し、深められることがあると思います。

この場面もそんなグループで取り組んでいる場面の一コマ...と言われればそうかもしれないけど...うーん...と考えてしまいました。

 

というわけで今回は、グループで取り組む「よさ」の大事な要素の一つである「対話」について、少し考えてみたいと思います。

 


 

 

そういえば対話ってなんだ?

 

まず、対話ってなんだっけ?ということから。

 

皆様には、「主体的・対話的で深い学び」という文言でお馴染みの「対話」。

これについて考える時、あるいは様々な方に説明する方法を考える時、国立教育政策研究所が2020年6月に発行した「学習指導要領を理解するためのヒント」(https://www.nier.go.jp/05_kenkyu_seika/pdf_seika/r02/r020603-01.pdf)がとてもわかりやすくて、私はいつも何度も読み返します。

ここには「対話的な学び」の授業者の視点として、「思考を交流させる」という言葉が。

 

「対話」について考えるとき、この辺りが最初の手がかりとなってくれそうな気がします。


さて、冒頭の兄弟の会話に話を戻します。

 

この場面は、「思考を交流させる」というより、「思考をぶつけ合っている」といった方がしっくりくるような気がします。

相手の話を聞く時間的猶予はあっても、それを受けて話す内容は自分の主張を繰り返しているだけ。

 

似たようなことは大人の世界のオフィスなどでもよく目にしません?笑

 

相手が何を言っているのかをできるだけ汲み取るためには、どういう態度が必要なのでしょう。

少し攻撃的とも思えるような投げ合いの会話を、「思考を交流させる」ための対話に昇華するには、そのための具体的なコミュニケーションスキルのトレーニングが必要だろうと私は考えています。

 

 

対話を獲得するために必要なスキル

 

人間は基本的には見たいものしか見えないし、聞きたいものしか聞こえないし、学びたいものしか学ばない、と言われます。

 

あるいは、何かを見たり聞いたり、学んだりしたとしても、「やっぱりそうだよね」と自分の認識や価値観を補強する材料にしたり、逆に自分と全く異なる情報の場合は「何もわかってない」と切り捨てる方向に向いてしまうことも。

 

冒頭の会話もこの典型だと思います。

 

これでは交流というより、同質のものの混じり合いによる安心や馴れ合いを求めているだけであって、「思考を交流させる」すなわち「自分と異質なものを本質的に受け入れて変化する」ことにはなりません。

価値観も前提も何もかも違う本当の「他者」を受け入れるために必要な具体的スキル。

 

それは、これまでこのブログで書いてきた、図工・美術で獲得すべき自分特有の視座としての「美意識」を、一度完全にオフにするスキルなんだと思うのです。

 

つまり、自分のフィルターを外して、相手の立場を理解しながら、何を言おうとしているのかを探ることに100%頭と体を使うこと。

その上で「美意識」のスイッチを再びオンにし、自分の中の価値観と関係させ、新しい価値を生み出(発想)していくこと。

このスイッチの切り替えのトレーニングがあったらどんなにいいだろう、と思ったりします。

 

とはいえ実はそのトレーニングについて、現在はまだ様々な文献にあたりながら鋭意設計中…。

完成次第また共有できればと思います。

「もうそんなのやってるよ!」とか、「思いついた!」という先生方がいらっしゃれば、ぜひご連絡いただきたく存じます。

 

 

「言葉」の落とし穴

 

最後に、ちょっと話はそれますが、今回感じたことを少し。

 

私はこれまで、様々な指導案やワークショップ事例において、ポイントとして「対話」を掲げてきましたが、その定義について蔑ろにしてしまっていたのではないか、と反省しています。

 

どうやったら「対話」が成立するか、についてを深掘りしないと、具体的な声かけができず、子どもたちへの学習効果が下がってしまうことは自明です。つまり、冒頭の兄弟のやり取りに対しての「うーん」は、そこに適切なファシリテーションができなかった、自分に対しての「うーん」でもあるのです。

 

昨今は「対話」の他にも、「探究」やら「STEAM」やら、目新しい多様なキーワードを目にすることが多いと思います。

これらは、全体を項目化して理解するときの記号としては大変便利なのですが、反面、その言葉を使うだけでやっている気になってしまう、という落とし穴が大きく口を開いていることを、我々指導者は常に考えておかなくてはいけないな、と感じます。

 

さらに、慣れてくると余計に、気がつかないうちに言葉の定義から離れてしまっていそうな感覚もあります。

言葉の定義を正しく獲得しておくことで、その落とし穴を回避できるだけではなく、その定義のなかに、新たな題材のアイディアの種が落ちているんだな、とも思いました。

 

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Author:清水輝大(しみずてるひろ)
1983年、北海道生まれ。
板橋区立教育科学館館長、ラーニングデザインファームUSOMUSO代表、武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所教育共創ラボ研究員。
青森県立美術館、はこだてみらい館、八戸ポータルミュージアムはっち、ソニー・グローバルエデュケーションなどを経て、現職。
図工美術教育の手法を援用し、創造的なSTEAM教育、プログラミング教育、探究学習などの実践研究を行う。