· 

Phase040:魅惑的なプログラミングと、控えめで豊潤な自然

久しぶりに、当館のプログラミングワークショップでの出来事をご紹介します。

 

 

「書くこと」が楽しい少年

 

ハロウィンプログラミングの作品例(別の参加者の作品)
ハロウィンプログラミングの作品例(別の参加者の作品)

 その講座は、小学校中学年よりも下の子どもたちの参加が多いクラスでした。

 今回ご紹介したい少年は2年生で、学年的にはちょうどいい。

 でもその少年は、ワークショップ全体では「LEDライトをつけてみようか!」という初学者のための話をしている中で、一人だけもくもくと変数や関数を駆使しながら複雑なコードを書くことに没頭していました(ちなみに当館のワークショップでは、必ずしも全体の進行に参加者が合わせなくてもよいルール)。

 

 一緒に来ていた保護者の方に話を聞くと、

「YouTubeで独学でいろいろやってるみたいなんです。親が教えたこともないし、むしろ私は苦手で、息子がやっていることは全くわからないんです。」と。

 少年に話を聞いてみると、

「毎日YouTubeで見てるから、僕はもうレベルの高いことができるんだ。学校でScratchとかやってるけど、同級生とは全然話ができないし、先生も全然教えてくれない」

とのこと。

 

 まあ、そりゃそうでしょうよ。

 

 ということで、本人はプログラミングの塾などには通っていないようで、普段直接質問できないことを、ここぞとばかりにバンバン私に質問してきて、私も、彼が喜びそうな様々なテクニックを伝えたので、彼は自分のやりたいことを大変意欲的に活動していました。

 

 

少年に抱いた、私の違和感

 

館内のスタッフに実際にお菓子をもらいにいきました
館内のスタッフに実際にお菓子をもらいにいきました

 ところで、この時の講座のテーマは「ハロウィンで、誰よりもお菓子がもらえるようにプログラミングで工夫して、実際にお菓子をもらいにいってみる」というもの。

 しかし彼は、プログラムをいじり続けたいために、最後の「お菓子をもらうための館内練り歩きタイム」に行かないで、この場に残りたい、と相談に来ました。

 保護者の方も、普段はこんな環境がないので、ぜひ子どものいう通りにしてあげたいとのことで、そうすることにしました。

 

 その後、他のメンバーが館内練り歩きのためにいなくなって、彼と私だけが部屋に残りました。そこで彼と一緒に私は、彼の書くプログラムについてああだこうだ話していたのですが、その中で私は、そこはかとない違和感を感じていました。

 

 変数や関数もほぼきちんと理解して使っているし、それが2年生ということは確かに驚愕の事実なのですが、しかし、端的にいうと、彼のプログラムからは、彼の意思のようなものを全く感じられないのです。

 文法や言葉遣いにほとんど間違いはないんだけど、「で、君はなにがいいたいの?」という感覚というか。

 確かに当館のプログラミング講座では、プログラミングに慣れ親しむために、無意味なプログラムを書いてみたりします。

 ただ、そのあとは必ず、図工・美術的な「鑑賞」の時間を設け、無意味に動いているモーターをよく見て「何に見えるか」ということを考えながら意味生成を行ったりします。

 もしくは、講座に参加してくれる子どもたちは、何か新しいことを覚えるとだいたい「じゃあ、あそこの場面に応用してみよう!」と、自発的に自分の生活と接続しようとするのですが、彼には、その部分が全くなく、プログラミングの知識だけを貪欲に欲する状態のように見え、それは私にとって初めての経験でした。

 

 また、私は彼への声かけでも少し困ってしまいました。 

 これまで、プログラミング講座の中で私は「本人が実現しようと思っているもの」を中心に据えて「もっとこうするといいかもね」とか「それじゃあこのあたりが全然ダメじゃない?」と声をかけていました。

 しかし彼は、私がいくら「みてみて、マシーンの方はこんな変な動きになっちゃってるよ」と言っても全くiPadから視線を外すことはなく、数センチ隣でめちゃくちゃに壊れながらぐちゃぐちゃ動いているブロックの物体を一切見ずに、プログラムの言語遊びそのものにだけ極めて強い関心を示しているようでした。

 おそらく彼はその時、なにか「モノ」を作ることに興味はなかったのたのだろうし、もしかすると将来、プログラム言語そのものを開発することに興味をもったりするのかな、なんて思ったりもしました。

 

 

 

「なにをつくったらいいかわかーんなーい」

 

ハロウィンプログラミングの作品例(別の参加者の作品)
ハロウィンプログラミングの作品例(別の参加者の作品)

 とはいえ、プログラミング講座に参加してくれる多くの子どもたちには、多かれ少なかれ同様の傾向が見られるように思います。

 当館の講座は2時間で、前半1時間がプログラミングの紹介、後半1時間が工作も含めた自由制作になっています。

 

 まずは前半。

 子どもたちが触れているプログラミング環境は、「ビジュアルプログラミング」と呼ばれる直感的な操作感が魅力の環境です。

 そこに子どもたちは強く魅了され、そのインターフェースが親しみやすければ親しみやすいほどに、画面から目を離さなくなります。

 考えてみれば、そもそもこれらのインターフェースは、魅力的に映るようにデザインされているわけなので、当然と言えば当然の結果とも言えます。

 そこまでは、とくに指導者が気を遣わなくとも、勝手に子どもたちはのめり込んでいく傾向にあります。

 

 難しいのは後半。

 指導者がしっかりとケアをしていないと、「なにをつくったらいいかわかーんなーい」という親子が続出します。

 本来、プログラミングで開発したいと思うモチベーションや、開発したものを応用する工夫、もっとよくしようとする心、そもそも「行動を起こそう」と思うきっかけとなるタネの多くは、身の回りの自然界に存在しています。

 しかし、魅力的にデザインされ、強く訴えかけてくる人工物とは裏腹に、それらのタネは目立たないようにひっそりと、隠れているものです。

 そのような誰も気づかないような身の回りのタネがもつ「豊潤さ」に気づける目、いわば「純真無垢な自分自身の目」を養うことが、「なにをつくったらいいかわかーんなーい」を解消する本質的な鍵であると、私は考えています。

 そして、その「自然的なもの」に目を向けて行けるように促していくことが、指導者の役割だろうと思います。

 

 

「今のプログラミング環境」と「自然的なもの」のバランス

 

 子どもたちからすると、興味を持ってもらおうと趣向を凝らした「今のプログラミング環境」は一見刺激が強く、一方で「自然的なもの」は刺激が弱いと感じられるかもしれません。

 でも「自然的なもの」には触れれば触れるほど豊潤なよさがあり、新たな発想や探究に必要不可欠です。

(ちなみに余談ですが、私は、プログラミングを含めた「デジタルそのもの」は「自然的なもの」のひとつだと思っていますので、「今のプログラミング環境」という言葉をもって、明確に区別しておきます)

 最近は「デジタル」と「自然的なもの」をあえてミックスしてパッケージ化している取り組みも増えていますが、そこに果たして、子どもたちの日常や将来に回帰していくようなしくみがあるのでしょうか。

 そのデザインされたパッケージとしての空間は、素敵なものであればあるほど、そこで完結してしまい、日常と乖離していく可能性もあるのではないだろうかとも感じます。

 

 もっと緩やかに日常や自然と地続きになるような取り組みを私はしたいなあと思っていて、そのためには、私自身がもっと刺激の強さやその先にある豊潤さを理解するバランス感覚をもたないといけないのでしょう。

 

★板橋区立教育科学館の取組みは、板橋区立教育科学館のサイトhttps://www.itbs-sem.jp/でご確認いただけます。

 

Phase039< >Phase041

Author:清水輝大(しみずてるひろ)
1983年、北海道生まれ。
板橋区立教育科学館館長、ラーニングデザインファームUSOMUSO代表、武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所教育共創ラボ研究員。
青森県立美術館、はこだてみらい館、八戸ポータルミュージアムはっち、ソニー・グローバルエデュケーションなどを経て、現職。
図工美術教育の手法を援用し、創造的なSTEAM教育、プログラミング教育、探究学習などの実践研究を行う。