★本展覧会は諸事情により中止となりました。詳しくは板橋区立教育科学館サイトよりご確認ください(編集部)
この冬、板橋区立教育科学館では、3月にお亡くなりになったプロ冒険家/夢を追う男・阿部雅龍さんの生き方を振り返る展覧会を開催します。
展覧会タイトルは「冒険しようぜ!」。
この言葉は、生前の彼の、様々な場所での発言から引用したものです。
ここでの「冒険」とは、何を指すのでしょうか。
ずっともがいて、価値観や考え方を変化させてきた
展覧会では、展示の順路をそのまま阿部さんの生い立ちたどれるように設計しています。
これは、私自身が初めて阿部さんにお話をお伺いした、3時間にわたるロングインタビューで語られていたことにインスピレーションを得たものです。
インタビューの中で阿部さんは、幼少期より多くのターニングポイントがあったことを自覚されていて、「その積み重ねが今の自分を形作っている。決して最初から冒険家になろうと思っていたわけではないし、未来における冒険家の達成から逆算して生きてきたわけではない。ずっともがいていたようにも思う」という趣旨の発言を何度もされていました。
確かに冒険家として南極未踏の制覇という具体的な「目標」が見えてからは、ストイックとも言えるほどに逆算して準備されていました。
しかし、冒険家としての生き方に至るまでには、私も少し驚くほどに、様々な人・モノ・コトに影響され、価値観や考え方を変化させてきている様が見受けられます。
そしてそこに、私は阿部さんのいう「冒険」が指し示す意味のヒントが隠されているように思うのです。
実はこのロングインタビューにおいて、少し引っかかっていた点があります。
それは、幼少期から常に、「自分自身で考えてきた」ということを想起させる言い回しが多かったことです。
これは一見「様々な人・モノ・コトに影響され、価値観や考え方を変化させている」こととは正反対の性格のように思います。
また、たとえば私の幼少期の場合は、両親による判断を受け入れて選択することが多かったので(朝起きて着る服だって母親が選んだものをなんの疑いもなく着ていたように)、そんなに早い段階から「自分自身で考える」ということについて、あまりイメージが湧かなかったことも違和感の一因かもしれません。
しかし、彼が自分の人生について語っている場面をもう一度よくよく見つめてみると、取り巻く様々な環境が、幼少期のうちから「少し立ち止まって自分でじっくり考える」「自分で選択する」という機会を多く生み出してきたのではないか、と推察するようになりました。
もちろん、当時の阿部少年を取り巻く多くの要素の中のごく一部の話であるとは思うのですが、その頃から「クセ」になるように身についたのかもしれない、時間をかけて繰り返し自問自答する態度が、のちの阿部さんの「冒険」像に深く関わりがあるように思います。
すべての環境とみっちり話す
そんな展覧会の準備の中で、私はいま幾度となく、自省の念がわき起こります。
昨日、私は、果たして私自身の視点を持っていられただろうか。
今日、私は、果たして自分自身の足で立っているのだろうか。
そして、そうではない自分を、阿部さんに見透かされているような気持ちにもなります。
そんなことを考えていると、ふと「南極では自分一人なんです。だから、aiboを連れて行くと話し相手になるかなと思いました。でも実は正直なところ、冒険の最中はいつも南極の自然現象や、様々なトラブルを含めた、すべての環境とみっちり話しているようにも思うんです」という阿部さんの言葉を思い出しました。
「南極」には一切のレールは存在せず、岐路では立ち止まり、自らが置かれた条件を詳細に把握しながら考え、行動します。
この「南極」という部分を、たとえば「人の一生」に置き換えても文章は成立し、このことを阿部さんは「冒険」と呼んだのではないかと思うし、生きている間中続くであろうその行為自体を「夢を追うこと」と表現されていたように、私は思うのです。
この展覧会では、阿部さんの人生の冒険の中のターニングポイントに、象徴的にテントが配置され、その中には、影響を受けた本やモノを設置。それぞれをじっくりと体験できるようになっています。
展覧会を歩いて動きながら見るだけでなく、靴を脱いで、テントに入って、座ってから体験しなくてはいけないその行動自体が、今という時代を生きるみなさんが「立ち止まってみる」ということのメタファーです。
この展覧会が、3月に亡くなった阿部さんから皆様への、文字だけではない体験で直接伝えるメッセージとなってくれるよう願い、日々鋭意企画準備中です。
ぜひご来館ください!
★板橋区立教育科学館の取組みは、板橋区立教育科学館のサイトhttps://www.itbs-sem.jp/でご確認いただけます。
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