この作品は5年生の「絵の具スケッチ」(日本文教出版 図画工作5・6上 p.8-9)で表したものです。
身近にある、よいと感じる場所やものを、小さな紙に表す活動です。
図工室の前には、武蔵野の名残、子どもたちが自然を身近に感じることのできる「五本木の森」があります。毎年、木々や草花が芽吹き、気候の良い4月には、水彩絵の具と小さな紙を持ってスケッチに出かけています。
「自分の絵の具」をつくる
最初に、図工室で「黄・青・白・赤・黒」の5色だけで、自分が4月だなあと感じる木々の色(「自分の絵の具」)をたくさんつくってから表すことを提案しました。自然の色のよさや美しさをより感じ取ってほしいと考えたからです。
子どもたちをそばに集めて、実際に5色で少しずつ絵の具や水で調整しながらつくっていくことを演示しました。
Мさんは、1時間であっという間にパレットいっぱいの緑や茶色をつくり終え、「学校から帰るときの木々や、窓から見える五本木の森の緑から、自然の色の感じをいっぱい探せた」と言いました。そして、「来週、かくときに綿棒を持って来ていいですか」と聞いてきたので、「いいですよ」というと、嬉しそうでした。
Mさんの表したいこと
次の週は、日差しも心地よく感じるスケッチ日和。前時につくった「自分の絵の具」と小さな紙を持って、外に出かけます。子どもたちは、図工室前のテラスや図工室の屋上を行ったり来たりして、よいと感じる場所やものを探しています。
Mさんは、ためらわずに五本木の森に一番近いテラスの真ん中でかくことを決めました。手には、数本を輪ゴムで束ねた綿棒を持っています。綿棒に水をしみこませると、「自分の絵の具」を付けて、とんとんとたたくように色を置いていきます。時にはこすったり、ぼかしたりして、少しずつ色を変え、重なっていく緑は、深い森の色となっていくようです。
しばらくして、Mさんは「困ったな」とつぶやきました。「絵の具が濃すぎるところがある。4月のやわらかい緑のイメージには合わない」というのです。いつも夢中でつくりつくりかえていく中で解決していくMさんを見ていたので、見守ることにしました。
濃すぎると感じるところに水を付けたり、他の色を重ねたりして納得がいったようでした。最後に筆を使って、すっと木々の幹と枝、2枚の紙に空をかき、完成させました。
緑でいっぱいな五本木の森
Мさんは、5枚の絵を台紙の上で置き方を考えて貼り、「緑でいっぱいな森」というタイトルを付け、こう話してくれました。
この作品で、たくさんの緑の鮮やかさを表せたことがうれしい。
小さな紙の白い部分を残して、太陽の光が差し込んでくる感じにした。
最後に台紙に貼るとき、小さな紙をどう構成したらまとまるのか、時間をかけて考えた。
色々な方法を自分で試せることは楽しい。
「以前にYouTubeで、綿棒でかいている動画を見たことを覚えていて、それをこの活動で生かしてみよう」と考えたMさんです。
自分の思いに合わせていろいろ試みたり、自分なりの方法で表したりできる時間を大事にしていきたいと思います。
コメントをお書きください
竹内由希子 (木曜日, 01 7月 2021 19:54)
子供たちの目線、毎日通って遊んで学んでいる場所だからこそ感じ取れるものがあるのだと感じました。
そんな毎日見ている身近なモチーフだからこそ、「自分色づくり」の活動が子供たちにとって、Mさんにとって特別なものになったのですね。
Mさんの小作品の一枚一枚を見ていくと、自分色を綿棒で重ね、重ねながらまた新たな色を感じていることが伝わってきました。
今回の記事を拝見させていただいて、改めて子供たちにとって、身の回りの自然をじっくりと見て感じ取れる時間が大切であると感じました。
この先何十年も生きていく子供たちにとって、幼い頃の新鮮な心や身体で、身近な自然を色や形で感じ取れる時間は貴重なものだと思います。
はな (木曜日, 01 7月 2021 20:25)
4月に芽吹いたばかりの木々は緑といっても1色ではなく、言い表せないくらいたくさんの緑色であふれますが、パレットにこれだけたくさんの緑を用意した時からイメージはできていたのでしょうか。木漏れ日まで感じさせる素敵な素敵な絵です。身近に森を見て緑をよく見て自分の心に留めてあったのでしょうか。
阿部 宏行 (金曜日, 02 7月 2021 09:45)
「身近な自然を、子どもなりの目で捉え、自分の表現を追求する。」子どもの姿が目に見るようです。その傍らで、温かく見守る「せんせい」がいる。なんて素敵な時間が流れているのでしょう。
横内克之 (金曜日, 02 7月 2021 10:02)
Mさんの「綿棒を持って来ていいですか?」という言葉の背景を考えてみました。
一見「用具」や「方法」の工夫のように思われますが、Mさんの頭の中には、木々の葉が1枚1枚風にそよぐ様子や、そこから漏れる陽の光を感じたり体験したりした「自分のイメージ」が、あったのでしょう。それを表すのに綿棒を束ねて色を重ねることを思い付いたのではないでしょうか?それは、Mさんが表した4枚のスケッチによく表れています。
ともすると綿菓子のように塊として樹木の形や色を表しがちですが、Mさんが「造形的な見方や考え方」を働かせた表現には、Mさんが目にしている木々の葉擦れの音や、風、そして「そこにいる」感じが伝わって来ます。
子どもが何度も試したり工夫したりして、自分が表したいものを見付けていくいい題材だな…と思います。そのような造形環境の中で力を発揮できる子ども達は、幸せですね。
sayaka.y (日曜日, 04 7月 2021 12:48)
「自分が4月だなあと感じる木々の色」という、子供たちに提案する時の言葉が素敵だなと思いました。いつもどんな風に話したら、授業が子供たちのものになるだろうと考えます。木、空、雨、光など自然のイメージを記号的に表すことは子供たちにとって(かつて子供だった自分も含め)、いつの間にかできるようになっているから不思議です。「4月だなあと感じる…」という音の響きは、そうした記号で表せる普遍的な自然ではなく、「今の自分が感じる自然」に目を向けよう、体で感じよう、と思考のスイッチが入るように感じます。また五本木の森という、子供たちと過去・現在を共にある場所もまた、その思考のスイッチにはたらきかけるのかなと思います。
図工のみかた編集部 (月曜日, 05 7月 2021 18:00)
竹内由希子様
コメントありがとうございます。
>身の回りの自然をじっくりと見て感じ取れる時間が大切であると感じました。
ありがとうございます。そういっていただけると嬉しいです。
自然だけでなく子どもたちの周りにはたくさんの「形や色」がありますが、きっかけがないとなかなかじっくり見ることはないですよね。自分たちがいかに豊かな造形に囲まれているのか、こういう機会に感じてもらえるといいですね。
引き続きよろしくお願いい足します。
図工のみかた編集部 (月曜日, 05 7月 2021 18:05)
はな様
コメントありがとうございます。
>言い表せないくらいたくさんの緑色であふれますが、パレットにこれだけたくさんの緑を用意した時からイメージはできていたのでしょうか。
私もこの原稿を拝見してから少し意識してみたのですが、緑色も本当に豊かですよね。
パレットに用意したときはどうだったのでしょうか。パレットにたくさんの緑色をつくったからこそ、緑色の豊かさに気づいていったのかもしれませんね。
>木漏れ日まで感じさせる素敵な素敵な絵です。身近に森を見て緑をよく見て自分の心に留めてあったのでしょうか。
このあたりは、目の前の緑に触れたからこそかもしれませんね。木漏れ日を感じながら表したんでしょうね。五本木は森が本当に近くにありますから、子どもたちの生活の中に根付いているのかもしれません。常に造形的なまなざしを持っていたとしたら素敵ですね。
引き続きよろしくお願いいたします。
図工のみかた編集部 (月曜日, 05 7月 2021 18:08)
阿部宏行先生
コメントありがとうございます。
>なんて素敵な時間が流れているのでしょう。
本当ですね。子どもと先生の関係と、春のあたたかな日差しときれいな緑と…。とても豊かな時間が流れていたようにいたのかな、と想像が膨らみます。
「見たまま」ではないかもしれませんが、ここには確かにMさんが見て、感じた「緑でいっぱいな森」が表れていますよね。
引き続きよろしくお願いいたします。
図工のみかた編集部 (月曜日, 05 7月 2021 18:13)
横内克之先生
コメントありがとうございます。
>Mさんが「造形的な見方や考え方」を働かせた表現には、Mさんが目にしている木々の葉擦れの音や、風、そして「そこにいる」感じが伝わって来ます。
「綿棒を効果的に使っている」というような言葉を使ってしまうと、おっしゃるような「方法」の話になってしまいそうですが、おっしゃるような「自分のイメージ」に寄り添って綿棒にたどりついたんでしょうね。
>そのような造形環境の中で力を発揮できる子ども達は、幸せですね。
「造形環境」。とても大切な言葉ですね。題材というまとまりを考える中で、何をいつ、どのように手渡すのか、どのような雰囲気や空間になっているのか、そうしたすべてが「造形環境」になるんですね。
引き続きよろしくお願いいたします。
図工のみかた編集部 (月曜日, 05 7月 2021 18:20)
sayaka.y様
コメントありがとうございます。
>どんな風に話したら、授業が子供たちのものになるだろうと考えます。
どのような言葉で子どもたちに手渡してあげるのか、本当に難しいですよね。
同じ言葉を使っても、子どもたちが違ったり、時間や時期、状況が違うと伝わり方も変わりますもんね。
どのような言葉がよいのか、と考え続けることが何より大切なんですね。
>五本木の森という、子供たちと過去・現在を共にある場所
対象とする場所もまた大切ですね。どんな学校にも、通っている子どもたちにはきっとそうした場所があるのでしょうね。
そうした場所だからこそ、記号的ではなく、体で感じようと思えるようになるのかもしれませんね。
引き続きよろしくお願いいたします。
木村六諭 (火曜日, 13 8月 2024 14:34)
すごい