この作品は4年生の「これでえがくと」(日本文教出版 図画工作3・4下 p.40-41)で表したものです。材料の形や色の感じを生かしながら、組み合わせて絵に表す活動です。
材料は布切れに絞りました。事前に、少しでも、自分で布切れを集めることを子どもたちに伝えました。布切れの形や色、感触などを味わえるよう、様々な質感の布を集め、異なるサイズに切って準備しておきました。また、布の触り心地をより一層感じられるよう、ラワンベニヤに未ざらしのジュード麻を貼ったものを基底材として用意しました。
さわる、選ぶ、切る、重ねる、動かす、組み合わせる、貼る・・・
「すきな布切れを選んで、並べたり、重ねたりして組み合わせいくと、どんな感じがするだろう。」と問いかけ、演示して見せながら、4時間で表すことを提案しました。
最初に、Hさんは自分が持ってきた青と白のチェックとストライブ柄の布を見てから、一番小さな正方形の基底材(30×30㎝)を取って来て、すぐに材料コーナーに行くと、鮮やかな色の細長いフェルトを数枚選びました。フェルトを縦にしたり横にしたり、置き変えています。
その後も、何度も他の布切れを探しに行き、薄手の布、透き通る薄い布、光沢のある布、色違いのチェック柄の布などを画面の上に組み合わせていくと、Hさんは、「にぎやかな感じがする。公園にしよう。」と思い付きました。
「ぐっと引きしまった」
次の週は、子どもたちが、さらに自分の考えを深めていけるように、布切れの他に、粉絵の具も準備して使えるようにしておきました。
Hさんは、一回り大きな正方形のラワンベニヤ(45×45㎝)を持ってきて、前時に表したものをその上で動かしていましたが、やがて中央にのせて貼りました。そして粉絵の具の赤、青、橙を少量、容器に取り、一色ずつ洗濯糊で溶きのばし、混色はせずに布の上に置いたり、ジュート麻の空間に慎重にえがいたりしています。
次は緑、黄緑、白の粉絵の具をたくさん取り、少量ずつ洗濯糊を加えて、ゆっくりこねるように混ぜていきました。3つの色が完全に混ざり切らない色合いを面白いと感じているのでしょうか。Hさんはとても気持ちよさそうに大きい画面の周りにぬり広げています。
途中、粉絵の具を追加し、色を調節しながら重ねてぬっていくと、「ぐっとひきしまった。」と一言つぶやき、筆を置きました。
「6月の夜の公園」
Hさんは、作品に「6月の夜の公園」というタイトルを付けました。
私は、「ぐっと引きしまった。」と言ったHさんの考えをもう少し知りたくてなりませんでした。
Hさんは、作品を前に、活動を振り返って、このように話してくれました。
こい色、きれいな色、細長い形、模様、いろいろな布が使えると思ったとき、「にぎやか」と感じた。
布を選んだり、切ったり、動かしたりしていくと、こうしよう、ああしよう、とどんどん手が動く。
にぎやかな公園は、時計塔を夜の9時に設定し、ベンチをカラフルにした。梅雨のシーズンをイメージして雨をかいた。
まわりを緑にした理由は、きれいな草が公園のまわりにあるようにしたかったから。
「ぐっと引きしまった」ことで、夜の公園の「静けさ」を表した。
材料:様々な布切れ、粉絵の具、洗濯糊、基底材となるラワンベニヤ板(30×30㎝、20×60㎝、45×45㎝、30×60㎝数種類のサイズから選べるようにした。)、接着剤、筆、溶き皿等、布を貼るときの木べら(一人分ずつラワンベニヤを小さく切る)
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Yukari.S (日曜日, 01 8月 2021 12:01)
様々な素材、選択肢の中から自分の表現したいもの、思いに合わせてそれを表していくことの楽しさやわくわく感は、陽子先生の準備、声かけ、見とりに全て込められていると感じます。そして子どもたちのプロセスを大切にすることが、一人一人の可能性を引き出していることにつながっているのだと思いました。粉絵の具、とろとろ絵の具との感触、布や板などへののり方の違いなど、新しい発見をしながら作り、つくりかえ、考えて生み出していった末の「ぐっと引きしまった」だと感じました。
日頃、時間に追われ、表現することの楽しさや考え、思いを巡らせて色や形に触れることから遠のいていた自分に立ち返りました。小さなスケッチブックを引っ張り出して、この夏、子どもたちのように1つの作品に没頭できる図工の時間を自分に与えてあげたいなと思いました。
図工のみかた編集部 (火曜日, 10 8月 2021)
Yukari.S様
コメントありがとうございます。
>そして子どもたちのプロセスを大切にすることが、一人一人の可能性を引き出していることにつながっているのだと思いました。
本当にそうだと思います。一方で、こうしたやり取りの中で鈴木先生自身も子どもたちからいろいろなメッセージを受け取られ、声掛けや場の設定といった出会わせ方を学んでこられたのだと思います。子どもたちと先生との学びの往還をお感じいただけたのならとてもうれしいです。
暑い日が続いておりますが、是非、ご自身への図工の時間、大切になさってください!
引き続きよろしくお願いいたします。
内野務 (火曜日, 10 8月 2021 13:36)
布地も絵の具であること。そして絵の具は、描くための前に、思索の具でもあること。考える具であることをこの絵画は私たちに示す。
そして、大方、布地の構成には、教師が設定したイメージをその素材と共に「手渡し」しまいがちであるが、この絵画を、この児童の布地の操作思考を見る限り、その条件付き手渡しが、いかに児童の豊かな感性に制限を加えてしまう事象になることかを、如実に証明されている。
それは、布地の収集から何らかのイメージが湧くという、素材獲得の時間という意味を含む、「素材獲得からの動機付け」として始まる。
さらに、提示素材の支持体としての布地と、獲得布地との関連など、絵画は、布地を編むことからイメージが育まれ、描画へと発展する。考える布地、関連する布地、展開する布地は、まさに描画劇場の上で世界へと変わる。否、変えさせる。
絵画表現が展開であることは、この布地の扱い、構成が証明する。しかも、布地の実感としての感触はイメージをさらに深化させ、そこに自己と結び、沢山の子どもの経験知や風景と結ぶ。公園は、ますます楽しくなる。
絵を見ればわかる。この児童がどんなに悩み、思い、一つ一つを自分で決めていったか。そう、絵は一つ一つを児童が決めていったことの重積なのだ。重積ができる活動を、私たちが設定しなければならないのだ。
何より、実に楽しそうに描いていることを、その色、形が教えてくれる。絵画表現では何より大切にしたい、描く歓びとうれしさだ。
構成的にも、素材を生かした公園となっており、思わず抽象絵画のようでもある。思えば,抽象とは、形態による構成という冷めた面を見がちであるが、一つ一つの遊具や事物への思いを抽象化したものであることを、この絵画を見ていてつくづく感じいる。
阿部 宏行 (水曜日, 11 8月 2021 10:07)
鈴木先生のさりげない材料のバリエーションが「子どもをよく見ている先生」ではない。「子どもがよく見えている先生」を感じます。このマッチングが、子どもの活動を支えています。いつも素敵な実践をありがとうございます
図工のみかた編集部 (水曜日, 11 8月 2021 10:44)
内野務先生
コメントありがとうございます。
>教師が設定したイメージをその素材と共に「手渡し」しまいがちであるが
本題材に限らず、この点は考えないといけないですね。指導者側のノーガード戦法と言いますか、I合気道的な向き合い方が必要ということでしょうか。
>絵は一つ一つを児童が決めていったことの重積なのだ。重積ができる活動を、私たちが設定しなければならないのだ。
絵を完成された図像としてのみ受け取るのではなく、その奥行きを感じられるようにしないといけないですね。本連載によって、その奥行き、作品に潜るためのガイドとなればと思っております。
>抽象とは、形態による構成という冷めた面を見がちであるが、一つ一つの遊具や事物への思いを抽象化したものであることを、この絵画を見ていてつくづく感じいる。
私も「抽象」という言葉を使う時にやや躊躇してしまうことがあります。おそらく内野先生のおっしゃる「形態による構成」という側面と「一つ一つの遊具や事物への思いを抽象化したもの」が未分化のまま「抽象」という言葉でくくられてしまうからかもしれません…。
引き続きよろしくお願いいたします。
図工のみかた編集部 (水曜日, 11 8月 2021 10:48)
阿部宏行先生
コメントありがとうございます。
>「子どもをよく見ている先生」ではない。「子どもがよく見えている先生」
見ようとしないと見えないですが、見ようとし過ぎると、見ようとするところしか見えてこないのかもしれませんね。
見えるようになるには、何度も見て、子どもたちの姿から学ぶしかなさそうですね。
私たちも、見えているようで、実は見たいように見ているだけ、ということはあるかもしれません。猛省します。
引き続きよろしくお願いいたします。