自分の時間を自分でつくること
年度末も間近に控えた3月30日。いつもの学校の卒業式を終えた6年生部員にとっては小学生として最後の活動となった。この日は「放課後の学校クラブ」プレゼンツということで何やら企画をするらしい。事前に学校で配布したチラシには、活動内容(予定)として「アレンジしたおにごっこ」「ミッションつきのかくれんぼ」と記されている。
前回の「図工のあるまち」(放課後の学校クラブ 第18回 放課後らしさとは)でも放課後らしさについて考えてみたが、そもそも「放課後の学校クラブ」は参加している子どもたちにとってどのような時間になっているのだろうか。それは、いわゆる学校でも完全なる放課後でもない。かつて、「もうひとつの学校」に向けた話し合いをしている際にとある部員が「早く活動を始めようよ」と口にしていたこともふと思い出す。われわれ(おとな部員)は、こうした対話の積み重ねにこそ意味を感じているわけだが、肝心の子ども部員にとって、それらは「活動」に向けた準備体操のようなもの。
そして、いつの頃からか、「放課後の学校クラブ」が終わった後に、自然発生的に遊びの時間が始まるようになった。言うなれば、「放課後の学校の放課後」である。ビニール袋に紙袋を詰めてつくった即席のボールを使ってドッジボールする日もあれば、校庭で鬼ごっこをする日もある。そこには(おそらく)事前の計画は何もない。誰からともなく始まって、ボールが壊れるか「そろそろ帰るよ」という保護者の声掛けによって終わるのが日常である。
春の自由な活動日
そんなこんなで3月30日を迎えたわけだが、実は「アレンジしたおにごっこ」も「ミッションつきのかくれんぼ」も、この時点で何をするかはほとんど決まっていない。筆者も、このままではまずいのではと心配になり、どうしようかと促す。こういう時に限って新しい参加者が訪れるのも世の常である。
果たして開始時間となり、案の定、チラシを見た複数の児童がコミュニティ室へ。すると、それまでグダグダとしていた6年生部員も急にスイッチが入り放課後モード。いつものように即席のボールをつくり始める。「おにごっこ」か「かくれんぼ」かは不明だが、さすがにアレンジし過ぎではと心の中で(と言いつつ声にも出して)つっこみながら、経過を見守る。さすが小学生は飲み込みも早く、説明もないまま数十秒後にはチーム分けが始まっていた。
数試合を重ねた後、今度は校庭に出てようやくシンプルな「おにごっこ」が始まった。一方で、4年生部員は「ちょっと準備があるので」ということでコミュニティ準備室へ。こちらはこちらで秘密の企画を進めているようだ。外と中とでそれぞれの時間が交差するおだやかな春の日であった。
元6年生を送る会
年度をまたいで4月14日。新年度最初の活動日であると同時に4年生(進級して新5年生)を中心に準備を進めてきたプロジェクトの当日でもある。会場の設えがあるようで、少しそわそわしながら6年生(進学して新中学1年生)に「外で遊んできて」と提案していて奥ゆかしい。
筆者も、中学生になった心境などをいろいろ聞いてみたかったので、座談会でもしようかということで準備室に連れ出した。そこで改めて「放課後の学校クラブ」の思い出などについて尋ねてみる。恥ずかしがって真剣に答えてくれない部分もあるが、何となく「自由な場所」であったことは共通しているようだ。
40分ほど経って、そろそろ準備も整った様子。コミュニティ室に入ると、黒板には大きく「元6ねんせいをおくるかい」と書かれていた。前方に並べられたイスの背面には恭しく「〇〇様」と着席場所も示される。廊下では、昨年の秋に開催した「カエルとカッパのワケあり学校」でも使ったランタンがアプローチを飾る。そしていよいよ本日の主役である「元6ねんせい」一同を拍手でお出迎え。
その後は、低学年部員による開会の言葉に始まり、ジェスチャーゲームへと続く。かと思えばお次は「校庭に出てください」とのアナウンス。ここでいきなり「けいどろ」のスタート。放課後らしいめまぐるしい展開だ。昨夏の金ケ崎への修学旅行に同行した大学生も群馬から「来賓」として列席していたのだが、有無を言わさずメンバー入り。あとから話を聞けば、大学生より上の世代については無理をするといけないので参加が免除されていたらしい。
放課後を支える人々
この日は、大学生のみならず「元6ねんせい」を送るため多くの「来賓」をお招きしていた。水戸芸術館現代美術センターでデザイナーを務める石井一十三さんには、日々の参観にとどまらず、先の修学旅行では引率者として多大なるご協力をいただいた。また、金ケ崎でワークショップの講師を務めていただいた版画家の城山萌々さんには、詳細もよく分からないこの会のためにはるばる山形から足をお運びいただいた。
さらに、ちょうど校庭で「けいどろ」をしている最中に、今春の卒業生が3年生の頃にお世話になった担任のふなばし先生もお見えになった。2011年に始まった「放課後の学校クラブ」の歴史をふりかえってみても、担任の先生が活動に参加する機会は実はそこまで多くない。そのような中にあって、浜田小学校を離れてからもことあるごとに顔を出していただいた稀有な存在だ。もうお一人、やはり元担任のくろさわ先生も駆けつけてくださった。
元6年生5名とご来賓の皆様も全員揃った送る会の終盤には、筆者が撮りためてきた数千枚におよぶ写真から厳選した300枚余りをスライドショー。お兄ちゃんと一緒に小学校に入る前から参加していた部員、1年生から参加していた部員、2年生から、3年生から……活動を始めた時期はまちまちでも、確かに成長している様子が見られる。そして、一緒に写り込んでいる卒業した部員や現役部員、おとな部員や「来賓」の皆様。それぞれの関わりによって「放課後の学校」の輪郭がつくられてきたことを実感する。
ちょうど、浜田小学校で「放課後の学校クラブ」が始まったのは今年の卒業生が生まれた年。その意味では同級生だ。アーティストの北澤潤さんによって投げかけられた「もうひとつの学校をつくろう」という問いかけに端を発するこのプロジェクトも、それを支える人々が入れ替わりながら13年目を迎える。今回の送る会は、コロナ禍で活動が停滞していた時期もひっくるめて、ここ数年をしみじみとふりかえる機会となった。
と、思わず最終回のようなまとめになってしまったが、「放課後の学校クラブ」では5月に引き続き新入部員を募集する予定だ。送り出した部員にも、今すぐとは言わずとも、いずれは「自由」を支える人になってほしいと願う。
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