こどもの日の特別企画
少し時間を遡って、こどもの日のできごとをふりかえる。金ケ崎芸術大学校では、ここ数年ほどゴールデンウィークの期間中に子ども向けの企画を行ってきた。夏の「小学生ウィーク」に比べると規模は小さいものの、大学校の一部を駄菓子屋にする「だがしのじかん」を軸とした開校日である。
とは言え、駄菓子屋はあくまでもかりそめの姿に過ぎない。その実態は、子どもたちに大学校の環境整備のために働いてもらうことを目的とした秘密結社である。今回は、「障子やぶり大会」と「草むしり大会」の2つのミッションを用意した。
障子をやぶる
今年の1月に開催された「金ヶ崎要害鬼祭」では、張り替えにあわせて障子に絵をかく「はりかえビエンナーレ」を行った。とは言え、予想以上に立派な作品が仕上がり、見学者も絶えない(やや誇張あり)ということで、当初の目的はひとまず見送ることに。
しかし、破れが目立つ部分もあったため、連休にあわせて絵のかかれていない障子の張り替えに重い腰を上げた。そこで、障子紙を破る大役を担うお子様を大募集。午前11時、やる気に満ち溢れた近所の子どもたちが5名ほど集まった。
最近は、障子のある家も少なくなってきたため、初めて体験する子どもたちがほとんどであった。まずは、障子を外して縁側に立てかける。勢いあまって格子状の「組子」を壊さないように、という注意事項が耳に届いたか分からないままいきなりスタート。
ビリビリバリバリと音を立てながら、あっという間に破かれていく障子 紙。危機一髪で本体は壊れなかったようだ。実は、紙が残らないようにはがしていくここからの作業が大変なわけだが……廊下に残された紙の山には、生活に根差した造形あそびの一端を垣間見た。
雑草をむしる
障子をやぶり終えたら、外に出て次のお仕事へ。大学校の敷地は庭と畑に囲まれているため、雪解けの後は繁茂する植物との一進一退の攻防が始まる。朝ドラでおなじみの牧野富太郎博士は「雑草という草はない」という有名なフレーズを残したとされるが、悠長に愛でている暇はない。気を抜くと、スギナやドクダミに埋め尽くされてしまう。
大学校の裏の畑では、「新しき盆栽村プロジェクト」の一環で盆栽を植えているため、草むしりは必須。人手が多い方がはかどるぞ、ということで子どもたちにも手伝ってもらうことにしたわけだが、生えてきてしまった「雑草」と植えてある「植物」の区別は案外難しい(のだろうか)。あまり大きな声で注意してもと思いつつ、何度もハラハラする場面に遭遇した。
そんなこんなで畑仕事は任せられん、と庭仕事へ変更。大学校の庭園はとりあえず「保存庭園」になっているが、日常的な管理は所有者に委ねられている。こちらも植物の種類が多く、どこまでが意図的に植えたもので、どこからが自然に生えてきてしまったものなのか、実のところわれわれにもよく分からない。
昨年の状況を思い出しながら、明らかに生えてきてしまったものを中心に仕事にかかる。子どもたちと(そしてそれ以上に保護者の皆様と)一緒にせっせと草むしり。途方もない作業だが、少しはきれいになっただろうか。
だがしを選ぶ
何をもって「労働」と見なすかは判断が難しいところだが、一連の「活動」の対価として、参加してくれた子どもたちにはだがし引換券(100円分)を支払うことにしている。金ケ崎にも、かつては駄菓子屋があったようだが、今ではそういった場所はなくなってしまった。
手元にある予算をどのように使うか吟味するのも駄菓子屋の醍醐味。日頃の算数の学びを活かした小さな経済活動だ。同じものを10種類買ったり、計算しながらいろいろなものを組み合わせたり、一獲千金を夢見て型抜きにつぎ込んだり……100円分の買い物にも個性がにじみ出る。
一つひとつの場面の集積が社会の縮図のようにも思える一日であった。
気まぐれ読書案内
和辻哲郎『風土』岩波書店、1935年
場所(ところ)の違いが人々の精神的構造に与える影響を論じた一冊。90年前の本ですが、文庫本も出版されており、入手しやすいです。「モンスーン」「砂漠」「牧場」といった形で人間の気質を類型化している点には現代的な感覚との齟齬も感じますが、地域と文化の関係性を捉える様々な視点が示されています。個人的には、草むしりをしたせいか「日本の自然は自然のままの形においては実に不規則に荒れ果てた感じになる」というフレーズがしっくりきます。
お問い合わせ先
金ケ崎芸術大学校
〒029-4503 岩手県胆沢郡金ケ崎町西根表小路9-2
電話:080-7225-1926(担当:市川)
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