そぞろみ部とは
いろいろな場所をそぞろ歩きながら造形的な見方や考え方を使って身の回りのあれこれを眺めてみるまったり系部活動。前回、社会科の笠谷先生と一緒に横浜の港町を訪れてから久しぶりの活動報告となるが、今回も社会科らしいテーマに挑戦。桜の花舞う季節にそぞろみ部初上陸となる富山県にて砺波市の散居村を一人そぞろみた。
村と町のあいだに
そもそも町と村の違いはどこにあるのだろうか。自治体(市町村)のくくりとしての町もあるが、「図工のあるまち」では市も歩けば村にも訪れてきた。今回は、「村」をそぞろみながら改めて「町」についても思いを巡らせてみたい。砺波駅で下車すると、駅名案内板には名産のチューリップとともにわれわれが思い描く村の風景があらわされていた。とは言え、駅周辺に広がるのは道路の両脇に家や店舗が並ぶおなじみの地方都市。その喧騒に紛れて、周囲を木々で囲まれた古民家が見えてきた。ここだけタイムスリップしてきたかのようなこの建物の名前は「かいにょ苑」。どうやらこの地域では屋敷林のことを「カイニョ」と呼ぶらしい。近景の桜ごしに望む茅葺きの屋根、遠景に控える背の高い樹木が立体的な空間を構成していた。しかし、敷地周辺の地面は灰色のアスファルトに覆われており、村のイメージからはほど遠い。
用水路にも要注意
そぞろ歩きを続けると、次第に人家もまばらになってきた。道沿いには「水車小屋」と書かれた精米処もあり、どこか村の気配を感じる。高速道路の短い高架下をくぐれば、急に視界が開かれ、田んぼの向こうには残雪の山並み。筆者の独断と偏見による「村」のイメージが展開していた。
水田に水を張る季節にはまだ早いが、用水路にはさらさらと春の小川。そこに架かる小さな橋もそぞろみポイント。本格的に手すりがついたものから、コンクリートの一枚板を渡したもの、若干心もとない金網まで、様々なパターンを発見した。まさに村ならではのブリコラージュ。もちろん、水は恵みを与えるだけではなく、時に危険を伴う。とりわけ子どもたちを守るために掲げられた看板には住民の思いが込められていた。情景を細かく描写したものやシンプルにあらわしたものなど、さながら路上の限界芸術。くれぐれも足元にご注意を。
家と緑のコンポジション
砺波平野では、田畑に民家が点在する景観は「散居村」と呼ばれる(ちなみに社会科では「散村」とも表記される)。先ほど訪れた「かいにょ苑」が民家一単位分。それらの距離に着目すると、造形的な視点から町と村の違いが見えてくる。村を水平方向に望めば、小さな森のようなまとまりが点々と。伝統的な家屋の正面に立てば、鈍角の二等辺三角形からなる大きな切妻造りの屋根が目立つ。格子状の構造を持つ白い壁と黒い屋根瓦のコントラストが醸し出す重厚感。それを取り囲む屋敷林は、垂直方向に延びた幹が空間に一定のリズムを刻む。ここで少し足を延ばして高台の展望スポットへ。登山の最中で降ってきた雨により視界は霞んではいたものの、鳥の目になって村を見渡してみる。田植え前のフィールドに白い線を描く道路とランダムに配置された深い緑の屋敷林。何となくモンドリアンの絵画を重ねてみたくなった。
気まぐれ読書案内
砺波郷土資料館(編)『砺波平野の屋敷林』砺波散村地域研究所、2003年(第三版)
砺波平野の散居村の屋敷林(カイニョ)について詳しく書かれた一冊。屋敷林をつくりだした開拓の歴史から衰退しつつある現在にいたるまで、木々とともに生きる人々の暮らしが体系的にまとめられています。また、植生やそこに集う鳥類など、屋敷林が育む生態系に関する情報も豊富です。ちなみに、「図工のあるまち」ではおなじみの「金ケ崎芸術大学校」の周囲に広がる胆沢扇状地も散村景観が見られる地域の一つですが、ここでは「エグネ」と呼ばれる屋敷林についても言及されています。
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